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B-25爆撃機来襲

伊25が長い遠征から横須賀に帰港して間もなく、4月18日、アメリカの中型爆撃機B-25が突如日本列島上空に現れ、東京をはじめ主要都市が爆撃を受けた。
パールハーバー奇襲の報復として行われたドーリトル爆撃隊による東京空襲は、B-25という陸上双発爆撃機を空母から発進させるアイデアは奇抜だったが、戦果はたいしたことなかった。日本から1200キロの海上で空母ホーネットから発進した16機のB-25は、それそれ東京、横浜、大阪、名古屋、神戸方面を目指して飛行し、爆弾を投下した後、中国の基地に飛び去ると言う作戦だった。つまりヒットエンドラン。奇襲の報に接し迎撃に上がった我が国の戦闘機は会敵することすら出来なかったと言うから、奇襲はほぼ成功だった。
ただし、艦隊が日本に接近していることを日本の哨戒艇(漁船)にいち早く発見されたため、予定を早め、当初予定された位置よりも遠くから発進させなければならず、夜間爆撃のはずが昼間爆撃になり、日本各地に爆弾を落とし中国に向かったB-25は、その後本来の最終着陸地点に届かず、中国各地に不時着することとなった。ちなみにこの奇襲攻撃に対する大本営の発表は、「わが国の損害は軽微」

横須賀にもB-25が来襲し、低空、高速で攻撃し飛び去るようすは、伊25潜の藤田等も目撃した。横須賀の艦船にも多少の被害が出たが作戦に影響するほどのものではなかった。

このB-25の奇襲を間近で経験した藤田飛曹長は、報復戦として零式小型水偵でアメリカ本土を爆撃する案を本気で考え始めた。


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