HOME>アメリカ大陸爆撃物語>見張台
見張台
16.見張台

実は、藤田飛曹長の操縦する小型機が誰にも見つからなかったわけではなかった。アメリカの西海岸の早朝、当時のアメリカでも朝から仕事をしている人はいたのである。この地方の山林には森林警備隊が勤務し、防災のため早朝から見張台に立っていた。藤田が爆撃した地点から西へ数キロのところにあるエミリー山(標高892メートル)の山頂に見張台がある。ここに勤務していたハワード・ガードナー氏が奇妙な爆音を聞いて、見張台から東の方向をみると白い煙があがっていて、その近くを見たこともない形の飛行機が旋回していた。ガードナー氏はすぐにゴールドビーチにあるレンジャー部隊本部に連絡、さらにレンジャー部隊から防空警戒本部にも通報された。

陸軍の沿岸監視員からも6時半ころ、ブランコ岬から洋上に向かう不審な飛行機を目撃しバンドンの司令部を通じて防空警戒本部に報告している。爆撃の帰りを目撃したのだろう。

その後しばらくたって、火災現場の調査により、火災は焼夷弾によるものと判明。日本語が刻まれている爆弾の破片を発見した。前日の雨と霧のため森は湿気が多く、火災はそれほど広がらず、簡単に鎮火した。

前述のように状況は米空軍にも通報されたが、アメリカの防空システムの方はうまく機能しなかった。一応P-38戦闘機が防空に飛び立ったものの、報告とは逆の方角に行ってしまったという。一方日本軍の上陸を想定し、万が一に備えてこの地方に駐留していた第174歩兵分遣隊は、日本軍上陸の可能性があると見てバンドンからブルッキングスまで捜索が行われたが、上陸の痕跡は発見できなかった。

日本の飛行機が太平洋上の潜水艦から発進したものとは誰も想像できなかったのである。FBIですら、その飛行機はフロートを付けていたと言う情報から、日本軍が近くの湖で組み立てて飛び立ったものに違いないと考え、オレゴン州にある湖を徹底的に調査したという。 なお、報道管制が敷かれ、火災が日本軍による爆撃と言うことは極秘に扱われた。それでもマスコミに流れてしまい、オレゴン爆撃の奇談はニューヨークタイムス紙にも掲載された。




HOME>アメリカ大陸爆撃物語>見張台