brothers himitsu top

coin12月14日、キティーホークは久しぶりの晴天に恵まれた。寒い。だがこの日、期待した風が吹いていない。兄弟はマシンをキルデビルヒルの丘の中腹まで運び、グライダーのように斜面を利用して飛行することにした。歴史的イベントを達成するパイロットの決定はコインのトスによって行われ、兄のウィルバーがその資格を獲得した。マシンがレールの上にセットされ、オービルが片方の翼を支えて離陸滑走に備えた。ロープを解くとマシンはほんの10メートルほど滑走しただけで宙に浮いた。しかしマシンは機首を上げすぎて失速し、丘の裾に着地し、砂にめり込んで機体に軽微な損傷を負った。その飛行時間3.5秒。失敗だった。
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ノースカロライナ州キティホーク
map気象庁からの情報によって、アメリカ東海岸のキティホークの風が飛行実験に最適であることを発見した。しかも人里はなれた辺鄙な海岸は彼らの秘密実験には「おあつらえ向き」だった。ライト兄弟がグライダー実験のため初めてこの地を訪れたのは1900年。それから三年。ついにエンジン動力による飛行機を完成し、ライト兄弟がここに戻ってきたのは1903年9月23日のことだった。キャンプ用の小屋は風雨で半壊していたため、ワークショップ用の小屋とマシンを2台分(前年置いていったグライダーと新しい飛行機)格納できる小屋を新造した。彼らはまずグライダーを使用して操縦の練習を行った。一方ニューマシン(フライヤー)の組み立て、エンジンテストを行う段になって、プロペラシャフトが折れたり、ねじの加工ミスなどが発見された。一時オービルが部品調達のためデイトンに戻らなければならない事態となり、スケジュールは大幅に遅れていた。11月上旬に初飛行を予定していたが、最初の飛行は12月14日になった。その日、ほとんど無風状態で、キルデビルヒルの丘の斜面を利用して行われた一回目のトライアルは失敗。二人は機体を修復して次の飛行チャンスに備えた。

1903年12月17日
camp1903年が暮れようとしていた。すこし焦りがでていた。実は二人ともクリスマスはデイトンで家族と一緒に過ごしたかったのである。12月17日、嵐が吹き荒れた翌朝。キャンプの回りに雨で出来た水たまりは凍っていた。早朝、期待の風が吹いていたが、風がそのまま吹き続けるかどうか様子を見ることにした。午前10時頃になっても絶好の北風が吹き続けていた。眠っていたフライヤーを小屋から引きずりだした。今度こそ小屋の近くに敷かれたレールから風に向かって離陸することが出来ると確信した。救助隊(沿岸警備隊)に対し飛行が行われることを合図するため信号の旗が掲げられた。いくら秘密主義のライト兄弟であっても、立証するためには飛行を目撃する第三者の存在が必要だった。信号を送って目撃者を集めたのであった。だたし目撃者としてこの歴史的イベントに集まったのはたった5人。いづれも土地の人たちだった。プレス関係者がここに立ち会わなかった事があとあと問題になる。
firstflight12月17日のテストパイロットはオービルの番であった。成功を祈ってオービルはあらかじめ、フライヤーが離陸する位置を予測して大判カメラを三脚にセットした。カメラはデイトンから持って来ていた。シャッターを切る役目は見学者のひとりダニエルに任せた。ウィルバーには離陸の際翼端を支えると言う仕事があった。レールの上にフライヤーが載せられオービルは腹這いになって操縦桿を握った。エンジンが始動しオービルは最大出力を引き出すように着火タイミングを調整した。フライヤーはウィルバーの介添えによりスルスルと滑走を開始し、やがてウィルバーの手を放れ空中に浮いた。ダニエルはこの瞬間、躊躇無くシャッターを切った。レールを離れるフライヤーと操縦士、そしてそれを見守るように脇に立っているウィルバーの姿が、演出ではないかと思わせるほど見事に写真に納められた(写真左)。オービルは昇降舵を小刻みに動かして、荒馬のように過敏に動くフライヤーをなだめようとしたが、僅か12秒で着地。距離36.6メートル。しかしこれが人類初の飛行として認められる事実になった。夢が実現した瞬間だった。その後二人は交互に操縦桿を握り、その度に滞空時間と距離を伸ばしていった。そしてこの日4回目の飛行でウィルバーが260メートルの飛行距離を記録し、その着地の際機体の一部を破損してこの年の飛行実験は終了した。ちょうどお昼の12時だった。オービルは早速デイトンに電報を打ち、飛行の成功を父親のミルトン・ライトに告げた。(写真右は三回目の飛行)

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