brothers Kity Hawk 1900 top

mosライト兄弟の二度目の挑戦は1901年の夏のこと。7月7日、二人はデイトンを出発した。この時も二人はエリザベスシティーで嵐に遭い、天気の回復を待ってからキティホークに向かった。着いたのは7月11日の夕方。例によってビル・テイト家に一泊して翌日はもうキャンプだ。テントを張った後、グライダーを格納する小屋をテントのとなりに建築した。水の確保のため井戸も掘った。
この季節、兄弟は嵐よりもやっかいな災難に遭遇することになる。蚊の異常発生である。空を暗く覆い尽くすほどの蚊の大群が兄弟を最高の栄養源とみて突撃してきたのだ。蚊帳で身を守ろうと必死になったが、隙間から襲ってくる決死の突撃隊のために、兄弟はしばらく眠れぬ夜を過ごすことになった。
この年にはライト兄弟の師匠的存在であるオクターブ・シャヌート氏がライトたちの実験を見学に来ることになっていた。そしてシャヌートの下でグライダーの研究をしていたハフカー氏、スプラット氏も実験の協力のために訪れた。ビル・テイトの弟のダン・テイトもライトの実験を助けた。

蚊の大群も去って、7月27日に組み立てたグライダーの初飛行が行われた。 gliderこの年のグライダーは前年の教訓を生かすべく、リリエンタールのグライダーを倣ってキャンバー(翼の反り)が大きくなっていた。主翼前方に位置する水平安定板には角度を変えるための操縦装置が備えられており、ピッチ(機首の上下)のコントロールが可能になった。つまりエレベータ装置。実験飛行を始めるとすぐに不具合が発生した。機首が必要以上に激しく上下し、コントロールできず、水平飛行ができなかったのである。これは機首を上下に動かす水平安定板が大きすぎるために過敏に反応してしまうのではないか、と考え水平安定板の面積を減らしてみた。が、効果はない。ライト兄弟がやがてたどり着いた原因は、なんとキャンバーが大きすぎるためだった。キャンバーが大きいために迎え角(向かい風に対する翼の傾き)を小さくすると急に頭を下げることに気がついた。これについてはリリエンタールの資料にも何も記述が無かった。一方、キャンバーを大きくした事による揚力の変化もなく、計算通りの揚力はいまだに得られていなかった。リリエンタールの揚力表は本当に正しいのだろうか。今まで参考にしてきた航空研究家と言われる著名人の残したデータは本当に信用して良いものだろうか。疑惑の念が初めて兄弟の脳裏をよぎった。

glider8月5日、シャヌートがキティホークを去った後、ワイヤーと木材を使ってキャンバーを無理矢理小さくする改良を施した。その改良グライダーはピッチのコントロールが安定して、滑空が持続するようになった。しかし実験を繰り返すうち、兄弟はまた新たな問題に直面した。それは兄弟がいままで経験したことのないグライダーの不思議な挙動だった。ピッチをエレベータでコントロールし、左右のゆれ(ローリング)は自慢の撓み翼が威力を期待できるはずだったが、この撓み翼が時としてうまく働かなかったのである。傾いた翼を水平に戻すために傾いた方の翼の迎え角を大きくすると、その方向にさらに傾いたのである。これは謎だった。その後前回のように地上からの凧式操作に戻って、撓み翼の逆効きについて実験を繰り返した。グライダーにはパイロットの重さのサンドバッグを乗せて何度も実験した。全てに関して理論的に解明してゆくことをモットーとするライト兄弟は、この現象を観察して、水平を維持するため、方角を維持するために垂直尾翼が必要である事を悟ったのである。

8月20日、グライダーを小屋に収納すると兄弟はキティホークを去った。

今度こそは必ず計算通りの揚力が得られると期待してきたものの、結果は前回とほとんど変わっていなかった。揚力が小さい。今のままの揚力では重いエンジンを乗せて離陸する事など到底考えられない。もっと揚力が欲しい。一体どうすれば大きな揚力は得られるのだろうか。頼りにしていたデータに裏切られた兄弟は奈落の底に突き落とされたような気持ちだった。一から出直しである。本当に人類は空を制覇できるのだろうか。それまでリーダシップを発揮してきたウィルバー・ライトは初めて自分たちの前途に陰りを感じた。

8月22日、デイトン着。デイトンの駅では父のミルトンが迎えてくれた。
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寝泊まりするテントの隣にはグライダーの格納庫が建てられた
ライトのキャンプに参加した仲間達、左からオクターブ・シャヌート、オービル・ライト、エドワード・ハフカー、ウィルバー・ライト

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