ライト兄弟のイラスト Q&A top

ライト兄弟、フライヤーにはまだまだ世間にあまり知られていない事柄がいっぱいあります。ここで紹介するのはその謎に答えるとっておきの話題です。皆様からのご質問などを参考に少しずつ追加して行きますので、あまり期待しないでお楽しみください。果たしてどのくらい「へぇー」でしょうか。

【1】ライトフライヤーには現在の飛行機のような計器類が搭載されていたのでしょうか

anemometer現在の飛行機のような計器類は積まれていません。しいて計器らしき物と言えば、風速計とストップウォッチでしょうか。風速計は風車がくるくる回るタイプのもので、向かい風の強さと飛行機の速度を測るのに使われました。またストップウォッチは飛行時間を正確にはかるために使われました。飛んだ瞬間にストップウォッチを押して、着地とともに計測を止めるのです。でもほとんどの場合着地のショックでストップウォッチは自動的に止まったと言うことです。
右写真はライトフライヤーの実際の写真です。上から風速計の風車とそのメーター、ストップウォッチです。パイロットの右の支柱に備えられていました。

【2】ライト兄弟はその後二人とも結婚したのでしょうか

いいえ、一生独身でした。
ライト家の5人兄弟のうち最後まで結婚しなかったのはウィルバーとオービルのふたりだけです。飛行機作りと会社の経営に熱中して結婚どころではなかったのでしょう。その兄弟の仕事に秘書役、あるいはアシスタントとして一緒に働いていた末妹のキャサリンは52歳で結婚しました。

【3】ライト兄弟の学歴は

二人とも高校までです。
ライト家の兄弟の中で二人だけが大学に進学しませんでした。実は高校の卒業証書ももらってません。つまり高校中退です。ライト家は裕福でとくに経済的理由で大学に行けないと言うことはなかったと思います。たぶん上の二人が大学へ行ったのを観察して、とくに行く必要はないと思ったのかも知れません。またふたりとも物作りが好きで、大学へは行きたくなかったようです。

【4】フライヤーのエンジンの始動はどのように行われたのでしょう

携帯用の乾電池とエンジンプラグを接続します。飛行機にバッテリーは積んでいません。各シリンダーにガソリンを数滴垂らします。これは呼び水みたいなもので、起爆剤の役目をします。つぎに点火スイッチを入れます。乾電池から電力が供給されます。給油レバーを開きます。アシスタントがプロペラを手で思い切り回します。うまくいけば一発でエンジンは始動します。エンジンが回ったら乾電池を外します。エンジンと連動した発電機から電力が供給されます。エンジン脇にある小さなノブを動かして、最大出力が得られるように着火タイミングを調整します。爆音とか体感でパワーの具合を計りながら、パワーが最大になったら「 GO 」です。スロットルはありません。なにしろ最大出力が得られなければ飛ばないのですから。以上、だいぶ筆者の想像も入っていますが。

【5】ダブルサーフェス翼って何

wingsurface翼の骨組みは左右長手方向に走る長い翼桁とそれに直角に交わるいくつものリブから構成されています。その骨組みに布を張って翼が構成されているのですが、ライト兄弟の初期実験グライダーや当時他の飛行家が試験飛行のために作った翼では、その上側だけに布を張って翼としていました。ところが1903年のライトフライヤーでは翼骨組みを布で包み込むようにして翼を構成していたのです。これをダブルサーフェス翼と呼びます。より近代的になっていたのですね。ライト兄弟はこの方が効率的であることを実験から読みとっていたのでしょう。また、翼布に使用された生地は、それまでの物は綿繻子でしたが、フライヤーには綿モスが初めて使用されていました。

【6】フライヤー本体に車輪らしき物はないけれど、どのようにして発進用モノレールの上に載せたのだろう

monorailライト兄弟はフライヤーをモノレール上で滑走させるために十字の形をした木製の台車を作り、この台車にフライヤーの橇(そり)の部分を載せて走らせたのです(右図参照)。前後ふたつのキャスターは凹形になっていてこれがうまくモノレールに嵌(はま)るようになっていました。当然止まっている時にはモノレール上でフライヤーは左右のバランスを保つことはできませんから、誰か一人が片方の翼を支えていなければなりません。エンジンを始動してフライヤーが滑走を始めると、翼を支えてながら一緒に走って行くわけです。フライヤーが飛ぶごとに台車をまた出発点に戻していました。実験場が砂浜だったため、走行の抵抗を減らすためにはもどうしても滑走台が必要だったと思います。二輪車にしたのはライト兄弟が自転車屋だったことに関係しているのでしょうかねぇ。

【7】ライトフライヤーの翼は垂れ下がっていた

普通、飛行機の翼はその根元から翼端に向かって上方に角度をもっている(上反角と言う)のです。これは横の安定を維持するためであり、機体が左右に傾いた時に自動的にもとの位置に復帰させる効果があります。ライト兄弟のフライヤーはこれとは逆に下方に垂れているのです。つまり下反角を持っているのです。翼端で約25センチくらい下がってました。ライト兄弟は上半角の翼が横風を受けたときの影響を嫌っていました。また機体は自らの操縦で安定を保つべきとの信念があったからです。でもその後に開発されたライト機は水平翼になっていますから、下半角は行き過ぎだったようです。

【8】ライト兄弟の二つ目の発明は単純な玩具だった

toyたいていの偉大な発明家は普通の人では考えられない新しい機械を次々に発明するものですが、ライト兄弟の飛行機以外の発明といえばこれだけです。スプリングの力で人形を跳ね飛ばして、それを前方の鉄棒に引っ掛けるというものです。1923年のクリスマスの日、オービル・ライトが家に集まった親戚の子供たちのために作りました。その後玩具メーカーで生産され実際に販売されました。パテントも出願されています。(USP1,523,989)


wetwing.com ライト兄弟の秘密トップへ