brothers wind tunnel top

experiment 参考書通りに作れば飛行機は飛ぶ物と考えてグライダーを設計し、実験してきたのだが、ライト兄弟が期待した性能は得られなかった。つまりここに来て彼らが参考にすべき物が目の前から消えてしまったのである。飛行機の開発は完全に行き詰まってしまったわけだ。参考にした航空に関する書籍、リリエンタール氏が残した滑空実験データなど、既存の資料が全くあてにならない事実に直面したライト兄弟は、初めて自分たちがやろうとしている事の重大さ、難しさに気づくことになった。

過去数十年に渡って科学者たちが研究してきた飛行に関する資料が間違いだらけならば、どうして学者でもない素人の彼らに人類未踏の飛行機の開発ができるだろうか。これまでの飛行研究家が実験して残してきたデータは何だったのだろうか。ライト兄弟が普通の人ならばここで開発を断念してしまった事だろう。しかし兄弟は普通の人ではなかった。高校もろくに卒業していないライト兄弟は、ここで初めて本格的な「航空工学」に挑むことになる。

wind tunnel1901年の冬にホームグランドであるデイトンの自転車屋で行われた実験は、まさにライト兄弟の真の実力を示すものと言えるだろう。それはライト以前には全く行われていない方法であり、誰も知らないプロセスだった。それは、その後の飛行機の発展に寄与する偉大な「航空工学」の夜明けだったかも知れない。

風洞(ウィンド・トンネル)とは風の流れているトンネルの事である。ライト兄弟の作った風洞は約40センチX40センチX150センチくらいの木箱の両端を開けたものである。この中に整流された空気を送り込んで簡単な風洞とした。この風洞の中に様々な形のミニチュアの翼を置いて揚力係数と抗力係数を計った。迎え角(風と翼の成す角度)も色々変えて実験を行った。揚力係数は翼の形状と迎え角に依存する数である。揚力係数には相似則があてはまり、同じ形状ならば大きくなっても数値は変わらない。つまり風洞実験で得られた揚力係数はそのまま実機に応用できる。抗力はいわば風の抵抗であり、揚力係数と同様に風洞実験で得られたデータは実物大の飛行機に利用できる。ライト兄弟はこれらの数値を簡単に得るため、画期的な計測装置(これもライト兄弟の発明)も創作した。

以下は揚力、抗力を得るための公式であり、これはライトの時代には公知であった。



ここでkは圧力係数と呼ばれ空気の濃さを表す数値で、低速で低空を飛ぶ飛行機では一定の値となる。Sは翼面積、Vは速度、CLは揚力係数、CDは抗力係数である。CLCDは翼の形状と迎え角によって決まる。翼面積を増やせば揚力は大きくなるが、抗力も大きくなってしまう。抗力が大きくなるとそれだけ前進するためのパワーを与えなければならない。最小のパワーで飛行機を飛ばすには揚力係数と抗力係数の比率が大きい方がよろしい。
ライト兄弟がつまずき寄り道をした原因は教科書に載っていた値をそのままkCLに当てはめたことにある。圧力係数kは英国の技術者スミートンの提唱で0.0054と言う値が一般的だった。ライト兄弟は1901年の凧式グライダーの実験でこの値が大きすぎるとの見解を持っていた。そして実験によって彼ら独自にk=0.0033という値を割り出したのだ。この数値は現在でも十分通用する値である。

揚力係数CLについては1901年のグライダーの設計までは、リリエンタールが発表した値を使用していた。この値についてもライト兄弟は間違っていると指摘しているが、もともとCLは翼の形状によって異なるから、リリエンタールのグライダーの翼のデータをそのまま流用した兄弟の方が迂闊だったと言えよう。ライト兄弟はあらゆる形の翼についてCLを測定した。

そしてライト兄弟は実験によって揚抗比の大きい翼型を追究していった。また実験からアスペクト比が大きいほど、すなわち横に細長い翼の方が揚抗比が大きくなることを発見した。

ライト兄弟に関する伝記を読んでも、飛行機の発明するまでの課程で最も重要なこの風洞実験の詳細はあまり書かれていない。一般の読者に説明して理解してもらうには記述が難しいのであろう。とくに頭が理系でない人々には難解である。ここでも詳細な説明は省くが、とにかく彼らはやり遂げたのである。200種類以上の翼型をテストしデータを取った。翼のアスペクト比(縦と横の比率)、キャンバー(翼の反り具合を示す数値)を変えてデータを取った。そして得られたデータを考察し「飛行に最適な翼の形」を醸成して行った。これらの風洞実験によって飛行機の歴史を切り開いたライト兄弟は技術者でなく科学者になっていた。

長い実験を終えたあと、ライト兄弟はそれまでにない達成感を覚えたに違いない。この時に初めて「自分たちだからこそ出来た」と実感したことであろう。人類にとって未知のデータが得られたのである。このデータを基に1902年の新グライダーが設計されることになる。

「誰にも頼らず俺たちだけでやり遂げた」と言う深い感動と優越感はその後永らく兄弟の頭の中に宿ることとなった・・・。

下の変遷図を見れば1901年から1902年にかけて、グライダーの平面型が飛躍的に発展しているのが解るだろう。1901年の風洞実験の成果が如実に現れている。

chenges of the wright gliders

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