96式小航空写真機は構造が複雑で製作も困難、当初故障も続出したと言う記録が残っている。当時日本に保有していたありったけの技術を駆使して完成した写真機なのだろう。その外観にも当時としては珍しい日本独自のアイデアがうかがわれる。マンマシーンインタフェイスを重要視したいかにも手持ち写真機らしいスタイルをしている。本体材料はネディンスコ型の木製布張りからアルミ軽合金になり、マシーンとしての魅力に溢れている。旧日本陸軍の宣伝映画で97式司偵にこの96式写真機をもって後部席に搭乗する偵察員のシーンを見ることができる。開発時期から推測すると、軍は初めから97式司偵での使用を狙っていたと思われる。レンズを含めて新規に設計された画期的な純日本製の航空写真機だった。昭和11年(1936年)に陸軍が正式採用した。その後日本光学だけでなく小西六(現コニカミノルタ)でも製造された。
(株)ニコンの社史には96式小航空写真機・「四型」という同写真機の写真が掲載されているから、初期型、ニ型と進化しさらにに性能を上げていったのであろう。レンズはテッサー型180mmF4.5で、像面にはカビネ版の乾板、シートフィルムあるいはロールフィルムを装填可能。これはマガジン式になっており、カセットのように交換して使用するものであった。シャッターは像のゆがみを避けるためにネディンスコ型のフォーカルプレーンから変わってレンズシャッター方式が採用された。
ちなみに偵察用写真機に関しては偵察機同様に陸軍の方が海軍をリードしていたようで、海軍で初めて独自に小型航空写真機を富士写真、小西六に試作させたのが昭和14年だから大分遅れている。以前から海軍ではK8と呼ばれる自動航空写真機は導入していたが、これは完全なフェアチャイルド社のコピーだった。このため陸軍が官民一体となって開発したこの高性能航空写真機は海軍にも装備されたという記録も残っている。
左の4枚の写真は日本光学製96式小航空写真機。所沢の航空発祥記念館に展示されているもの。