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航空写真の起源
はフランス人ニエプス(Joseph Nicephore Niepce)(1825)による写真の発明から約20年ほど経った1845年、同じくフランスのColonel Laussedatが測量に写真技術を取り入れようとしたのが発端らしい。しかしこの試みは成功しなかった。その後各地にて写真測量の実験が行われていた。イタリアのEmile WenzとColonel Sacounegによっては初めて航空写真測量が成功したという。Colonel Sacouneが凧に写真機を吊るしてMaroe附近の測量を実施していたころ、まさに飛行機が戦場に登場してきた時期でもあった。 第一次世界大戦、欧州戦線において連合軍側は当初、写真偵察に関してはフランス軍が気球に望遠写真機を搭載して撮影を実施していたに過ぎなかったのだが。同じ頃ドイツでは既にGoelz、Zeiss両社によって完璧な偵察用航空写真機が開発されており、軍では写真班なるものが編成され、1914年8月のパリ侵攻中、特にLiege,Maufeugeの攻略に航空写真が実戦に投入されていた。同月に撃墜されたツエッペリン飛行船には精巧な航空写真機が装備されていたのであった。オーストリア等でも航空写真機は研究されていたが実践には登場しなかった。 Marne会戦の後、戦闘が膠着し敵地の写真偵察がより重要になり、各国は競って航空偵察用写真機を開発した。連合軍側ではフランス軍ガロー大尉、英国軍ローズ中尉が初めて戦線を撮影してその軍事的価値が認められ、写真機材、整備、写真班の編成等が急激に進んだ。 その後ますます航空写真の必要が高まり、完全な記録写真を得るために撮影に影響する光線、大気の状況、撮影高度、乾板の大きさ、レンズの焦点距離などについて調査研究が進められた。また写真判読技術の進歩と共に写真偵察は情報活動の大部分を占めるようになったのである。 フランス軍においては、1918年7月下旬シャンパーニュ方面のドイツ軍の動きをあらかじめ察知しドイツの攻撃を失敗に終わらせ、英軍もリーズ河方面のドイツ軍の攻撃準備を偵察し敵を撃退するなど航空写真による成果を確実に上げていた。 日本では1914年(大正3年)、モーリス・ファルマン機による青島のドイツ基地偵察に航空写真機が使われた記録がある。
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