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7.アストリア砲撃

その後、アラスカ偵察任務を終えた伊25潜はアメリカ西海岸に沿って南下した。この地域のパトロールは昨年12月の真珠湾作戦以来二度目であった。
航行中、英国の輸送船などを発見、魚雷攻撃するも撃沈の確認なし。
続いて、「米本土の主要施設を砲撃せよ」との軍令部からの命令を受け、伊25は地元の漁船のルートに従ってオレゴン州のコロンビア河河口の湾内にひそかに侵入。1942年6月21日、闇の中にそっと浮上すると、オレゴン州アストリア市周辺に対し14センチ砲が火を吹いた。藤田飛曹長等も司令塔に出てこれを見学していた。これがもののみごとに、コロンビア河港湾防衛基地であるスティーブンス要塞に命中した。基地は大混乱に陥った。負傷者も出たが、意外にも基地から反撃の兆しはなかった。理由は基地司令が、ティーブンス基地に装備されていた10インチ砲の射程距離では敵潜水艦に届かないと判断したこと。反撃の射撃をすればその閃光により位置を知らせることになり、さらに命中弾を食らいかねないと考えていたこと。
結局伊25は14センチ砲17発を打ち込んでその場をゆっくりと去っていった。
現在その地には以下のような記念碑が立てられている。
1942年6月21日、日本軍の伊25型潜水艦からコロンビア河の湾岸防衛施設に対し発砲された5.5インチ砲の弾丸17弾のひとつがここに着弾し爆発した。第二次大戦中、米本土の基地が敵国から受けた唯一の砲撃であり、「1812年の戦い」以来である。
On June 21,1942,a 5.5" shell exploded here, one of 17 fired at Columbia River Harbor Defence installtions by Japanese submarine I-25. The only hostile shelling of a military base on the US mainland during World War II and the first since the War of 1812.
伊25はその後全ての作戦を終えてアリューシャン列島に沿って西航、日本に向かう。二ヶ月の航海を終えて横須賀に帰港したのは7月11日だった。




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