8.米本土爆撃命令
1942年7月27日
久しぶりの日本である。
藤田飛曹長が家族を横須賀に呼び寄せ、ゆっくりしているところに呼び出しがかかった。田上艦長からの命令で、海軍省軍令部に出頭せよとのことだ。(海軍省は今の東京霞が関)
行ってみると省内ですれ違うのはお偉いさんばかり。中佐、大佐クラスが多い。藤田は、「俺みたいな階級のものがここを歩いていいのだろうか」と思った。軍令部第三課では潜水艦作戦参謀の井浦中佐が待っていた。霞ヶ浦時代に会ってから久しい高松宮殿下(中佐)も同席していた。
井浦中佐はアメリカ西海岸の地図を大きなテーブルの上に広げると、
「アメリカ本土を爆撃してもらいたい」と切り出した。
それを聞いて藤田は胸のときめきを禁じえない。
「オレゴンの森林をやってもらいたい」
胸のときめきが止まった。米軍基地をやるんじゃないのか。森林爆撃なんて誰でもできる。藤田はがっかりしたが、その後の詳細な説明を聞いて、徐々に森林爆撃の重要さを感じ・・・納得した。これは大仕事だ。西海岸ではひとたび森林火災が発生すると消火は難しく、火災は広がってやがて居住地区にも被害が及び、その損害と消火に費やす時間と費用はチョー膨大。さらに日本軍が西海岸を襲ったと言うことになれば、それなりの軍隊を配備することになり、主戦場の備えを手薄にすることができる。
藤田は横須賀に帰ってすぐに田上艦長に報告した。
「そうか。よし」
田上艦長はそれだけ言って藤田の持ってきた地図を金庫にしまった。
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