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ベトナム戦争たけなわのころ、新聞には毎日のようにB-52による北爆(北ベトナム爆撃)の記事が掲載され、厚木基地は前線から還った艦載機で賑わい、時にはまるで航空ショーのように上空を旋回し着陸した。当時航空機の発達は著しく、また飛行機のフォルムも今のように画一されたものではなかった。続々と開発され前線に送りこまれる、新しい、個性的な飛行機の姿にマニアは心は躍った。 相模鉄道の相模大塚駅を降りて相鉄線に沿って横浜方面に向かって歩いて行くと、南に厚木基地を望む滑走路の延長線上には、相鉄線の上にコンクリートのトンネルが 設けられており、そのトンネルの上がマニアの集会所みたいだった。そこには金網も手すりも何もないから、気をつけないと線路に落ちる危険性があった。 夏は厚くなったコンクリートの上に座り込み、一缶だけ買ったジュースだけを頼りに軍用機の登場を待った。 今のように発達した情報システムはない。口コミだけで厚木基地の様子を入手するのだが、艦載機が必ず来るとは限らない。来ないときはいつまで待っても来ない。やがてコンクリートの上に寝そべり、ウトウトとしていれば、いきなりファントムの轟音に驚かされることもあった。 毎年春には三軍記念日があって厚木基地が一般に開放された。その後行われていた 「ウィングXX」のような華やかさは無かったけれど、地上に展示されている飛行機はロープ越しではなく、手でじかにアルミ軽合金の機体に触れることができた。プロペラに触れたり、翼をなでたり、ときには機体の下に潜り込んで詳細を調べたりした。 今思えば、この時期こそ、航空ファンの興奮はピークに達していたのだ。 |
【撮影日時】 1968年ころから 【場所】 厚木基地およびその周辺 【撮影機材】 ペンタックス SP スーパータクマー 200MM f4 オリンパスペン D など |
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