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1955年、航空自衛隊よりノースアメリカンT-6テキサンに替わる後継中等練習機のRFPが提示された。その内容は、 最高速度 778km/hm、 上昇限度 12,190m、 航続時間 2時間、 着陸速度 139km/h以下、 離陸滑走距離 400m以下、 着陸滑走距離 500m以下、 制限マッハ数 0.85 と言うもの。これに応じたのは川崎重工、新明和工業、富士重工の三社。川崎重工はT-33を基本にしたデザインだった。後退翼を採用した斬新なデザインの富士重工が次期中等ジェット練習機の開発会社として正式に選定されたのが1956年7月。その後開発契約が締結され設計が始まって1号機がロールアウトしたのが1957年12月。そして初飛行が翌1958年1月19日だから、近代の複雑怪奇化したジェット機に比較するとその開発速度は極めて速い。1960年には量産機が納入され部隊配備訓練が始まる。国産エンジンの開発が間に合わず、当初ブリストル社のものが搭載され、これをT-1Aと呼び、その後国産のJ3エンジンが完成しこのエンジンを搭載した機体をT-1Bと呼称した。T-1Aが46機、T-1Bが20機生産された。主に芦屋基地の第13飛行教育団に配備され、T-4が導入されるまで長きに渡って操縦訓練に使用されてきた。このジェット機は東南アジアなどにも売込みが行われた。戦後航空機開発を禁止されていた期間の技術的遅れを克服し、日本で開発、生産された初のジェット練習機として歴史を飾った名機である。それが今年引退したのだ。 T-1の開発が無ければT-2もT-4も生まれなかったであろう。この時代だからこそ実現した流麗な姿態はもう二度と空を舞うことはないのだ。 T-1Bの主な仕様は 全長 12.12m、 全幅 10.49m、 全高 4.08m、 エンジン J3-IHI-7B、 乗員 2名、 最大速度 850km/h、 最大離陸重量 4,400kg、 航続距離 1,500km
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![]() | ![]() | 左の写真はピカピカに磨かれて堂々博物館入りしたT-1の856番機。所沢航空発祥記念館にて2006年4月9日撮影。 |
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