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T-33



銀翼が消えた日


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 1955年にアメリカから供与を受けて45年間、高等練習機として大勢のパイロットを育ててきたロッキードT-33が2000年の春に引退した。老朽化した機種のなかでは、わりといい状態で保守されて来たため、入間の総隊司令部飛行隊ではあと数年使用されるはずだったが、1999年11月に入間川の河川敷に墜落炎上。これを機にひっそりと引退してしまった。

 T-33は川崎航空機でライセンス生産され、アメリカからの供与機とあわせ、270機が自衛隊に在籍していた。世界では一時6000機以上が生産された名機だった。その全身であるアメリカ初の実用ジェット戦闘機P-80の初飛行が1944年1月で、T-33はP-80の設計をそのまま受け継ぎ、複座にして練習機にしたものである。それを考えると記録的な長寿ジェット機である。その間に、F-86Fセイバー、F-100、F-104、F-105などの戦闘機が次々とデビューし消えていった。ジェット黎明期からの長い歴史の一つが終わったような感じだ。  

 エリアルールとか、空力学に理論的に解明されていない事がまだたくさんあった時代。黎明期に設計されたT-33は今では、練習機としてはあまりにも操縦の困難な、扱いづらい飛行機になってしまっていた。順次、後継機T-4にその役目を譲り、T-33はもはや練習機としてはお役ご免。晩年は連絡機として使用されていた。引退の時期としてはタイミングはよかったかも知れない。でもあの事故さえなかったら、もう少し延命していただろうし、最後の引退セレモニーも航空ファンの見守る前で、祝福され、派手に行われたことだろう。


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