2005年4月21日、晴天。11時20分ころ、但馬空港でアクロバット飛行の訓練をしていたロック岩崎こと岩崎貴弘パイロットが愛機ピッツS-2Cと共に墜落、死亡した。マスコミの扱いは極めて小さく、名前さえ見つからなかった。
(読売新聞---「但馬空港で小型機墜落 操縦の男性心肺停止」その他簡単な説明12行)
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2005年4月21日、晴天。11時20分ころ、但馬空港でアクロバット飛行の訓練をしていたロック岩崎こと岩崎貴弘パイロットが愛機ピッツS-2Cと共に墜落、死亡した。マスコミの扱いは極めて小さく、名前さえ見つからなかった。
(読売新聞---「但馬空港で小型機墜落 操縦の男性心肺停止」その他簡単な説明12行) |
岩崎貴弘氏は群馬県赤城村出身。1970年に航空自衛隊に入隊して最終的には戦闘機F-15のパイロットとして活躍した。1995年退官後は米国でショーン・タッカーに弟子入りし曲技飛行を学び、1996年に日本ではじめての本格的アクロチーム「エアロック・エアロバティックチーム」を設立した。 機種は当初アクロ専用機ピッツS-2B一機だけだったが、2002年からはさらに高性能のS-2Cを加え、パートナーと二機による演技を見せていた。 上の写真はロック岩崎が操縦桿を握るS-1B(JA11AR)とS-1C(JA22AR)。垂直尾翼がまるくなっているのがS-1B。墜落したときの乗機はS-1Cだった。 これで日本の航空祭もさびしくなる。
イメージトレーニングする時のアクション、あの切れのいい演技、地上に降りた時のあの笑顔は二度と見れないのですね。 |
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