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MU-2S


MU-2S
YS-11に引き続きデビューした純国産のMU-2は三菱重工の独自開発で随所にその独創性が光っている。1963年に初飛行後アメリカ市場では競合を相手に互角に勝負することができた。1967年からは救難機MU-2Sとして航空自衛隊が採用。その後29機が納入されたまさに名機と言えよう。ビジネス機としてはもともと速度と航続距離を売りにしていたが、航空自衛隊のMU-2Sは救難用機材を搭載するために速度を犠牲にして低高度での捜索活動に重点が置かれた。したがって与圧装置は無い。ただし捜索能力向上のため自立航法システムが搭載され、機首には対地速度を測るためのドップラーレーダーが搭載されている。対地速度測定による航法は今となれば原始的ではあるが、当時としては最先端の技術だっただろう。いち早く目的地点に到着し遭難者を発見し、必要な物資を投下し、救難用のヘリコプターを現場に誘導するのが任務であった。MU-2Sの仕様は次のようなものであった。

【三菱重工製 MU-2S】全長10.7m、全幅11.9m、全高3.9m、自重3.6ton、エンジンはギャレット製TPE331-25AB,605ESHP 2基、最大速度460km/h、航続距離1700km、乗員4名

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2005年4月14日午後1時50分ころ、新潟県阿賀町の御神楽岳(みかぐらだけ)の山頂付近で訓練中の MU-2Sが墜落、乗員4名全員が死亡した。老朽化した機体というのも事故原因のひとつだったかも知れない。MU-2Sは徐々に退役が進み、新鋭のU-125Aに機種交替しつつある時の事故であり、なんとも残念である。

上の写真は各地の航空祭でデモを見せるMU-2S。

最下列の4枚の写真は同型の陸上自衛隊向けのLR-1と呼ばれる機体で長らく連絡偵察用に使用されて来たが、これらも老朽化が進み、後身のLR-2に道を譲りつつある。LR-2はアメリカのレイセオン社製キングエア350を改造したものであり、左から三番目のLR-1の写真でタキシングするLR-1の後ろに写っているのがそれである。同列右端のオレンジのラインを基調にした塗装は沖縄部隊独特のもの。LR-1のスペックは以下の通り。

【三菱重工製 LR-1】全長10.13m、全幅 11.95m、全高 3.94m、全備重量 4750kg 最高速度 539km/h、航続距離1982km、実用上昇限度9000m、乗員定員7名

2005.5.19

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